【春高の舞台裏〈1〉】疑惑のコロナ棄権から2年、再び就実を襲った悲劇

正月にあったバレーボールの高校選手権大会(春高バレー)女子で、2連覇を目指した就実は準決勝で姿を消した。疑惑のコロナ陽性で大会当日に棄権した22年度をのぞけば4連覇が懸かった大会だった。3回連載で彼女たちの3年間、報じられることのなかった舞台裏を描く。(第2回は2月6日掲載予定)

バレーボール

就実高バレー部連載〈1〉高橋凪編

準決勝は2連覇を狙う就実と共栄学園の対戦になった。第4セット、得点を奪いガッツポーズする共栄学園のエース秋本(中央)(撮影・鈴木正人)

準決勝は2連覇を狙う就実と共栄学園の対戦になった。第4セット、得点を奪いガッツポーズする共栄学園のエース秋本(中央)(撮影・鈴木正人)

阻まれた最後のアタック

命運を懸けた第4セットはジュースにもつれた。

セットカウントは1-2。これを落とせば、その時点で日本一への道が途絶える。

1月11日の準決勝、相手は共栄学園(東京第3代表)だった。

23-24から追いついたのは、就実らしくひたむきに拾い、最後は高橋凪(なぎ、3年)の対角線へのアタックだった。

24-25となり、再び高橋へボールが上がる。

思い切り振り切ったスパイクは、共栄学園の2枚ブロックにつかまった。

コート中央にボールが落ちるのが、スローモーションのように見えた。

リベロの仙波こころ(2年)が右手を伸ばしても届かない。

そして、ボールは床をたたいた-。

その瞬間、就実の2連覇への道は終わりを告げる。

高橋は両手で顔を覆い、エース福村心優美(3年)は現実を受け止めきれずにコートに立ち尽くした。

どんな思いでいるのだろう。

彼女たちが岡山に戻り、数日が過ぎた頃に学校を訪ねた。

就実は東京から岡山に戻るとすぐに練習を再開したという。3年生も後輩たちとともにボールを追い続けていた(撮影・益子浩一)

就実は東京から岡山に戻るとすぐに練習を再開したという。3年生も後輩たちとともにボールを追い続けていた(撮影・益子浩一)

3年生はまだ、体育館にいた。

引退をせずに、後輩たちとボールを追い続けていたのである。

その光景はいかにも就実らしいものだった。

愚直なまでにひたむきで、そうやってバレーボールに青春をささげてきたのだ。

練習の合間に高橋に話を聞くことができた。

「最後に自分が止められたのは、どこかで何かが足りなかったからなんだって。今でも思っているんです」

少し離れたところで、監督の西畑美希が事務作業をしていた。

取材が終わってから、西畑は「あの子、何て言っていました?」と尋ねてきた。

その言葉を伝えると、西畑は教え子を思いながらこう漏らしたのである。

「私、あの子に伝えてあげないといけないんです。それは違うよ、って。

『勝負できたじゃない。逃げなかったでしょ!』って。

今までの高橋なら、あのボールはただ返すだけだったんです。

でも、あの二段トスを思い切って振り抜いたじゃない。

それだけで十分、成長しているんです」

この3年間は想像を絶する重圧との戦いだった。

2年前は疑惑のコロナ陽性となり、大会当日にコートに立つことなく棄権を余儀なくされた。

無念を抱えながら、1年前に再び全国の頂点までたどり着いた。

そして今回は再び、準決勝の前日にエースが悲運に見舞われる。

福村を助けようと、果敢に勝負をしたのが高橋だった。

チームのために-。

彼女が背負っていた重圧から描く。

福村(4番)とタッチを交わす就実の高橋凪(撮影・横山健太)

福村(4番)とタッチを交わす就実の高橋凪(撮影・横山健太)

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スポーツ

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。