有藤通世氏 張本勲さんから「毎打席死ぬ覚悟」の生きざま教わった 元気だったのに…本当に残念でならない

[ 2026年9月11日 05:15 ]

張本勲さん死去

80年、3000本安打を本塁打で達成した張本勲さん(中央)を出迎える有藤道世氏
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 張本さんは長くスポニチの評論家としても健筆を振るい、時に厳しく、時に優しく野球界を論じてきた。そんな「大御所」である張本さんとともに評論家を務めた各氏が、在りし日の「張さん」の思い出を語った。

 張本さんとは80、81年の2年間、ロッテで一緒にプレーした。80年5月28日、通算3000安打を達成した川崎球場での阪急戦でも私は三塁を守っていた。やけどの影響で右手が不自由。左打者はその右手でスイングをリードしなければならない。よく打てていたものだと今でも思うし、文字通り血のにじむような努力のたまものだったのだろう。

 張本さんには当時「今までどういう思いで野球をやってきましたか?」と聞いたことがある。広島の原爆のことを語ってくれた。お姉さんを亡くしたことも聞いた。そして「悔しい」と何度も言っていた。本当に家族のことを大切に思っていて、それが野球をする上での原動力になっていたのだと感じた。

 「アリ(有藤)、俺はな、毎打席毎打席、死ぬ覚悟でやっているんだ。投手の投げた硬球が当たったら死ぬかもしれん。だから俺も死に物狂いでやってきたんだよ」。矜持(きょうじ)であり、誇り。当時聞かされたこの言葉こそが張本さんの生きざまそのものだと思う。

 打撃技術は誰にもまねのできないものだった。私がロッテに入団した69年、張本さんは東映で押しも押されもせぬスター。試合ではその打席を三塁の守備位置から見て勉強させてもらっていた。特にタイミングの取り方が素晴らしく、動いてくるボールに対して動かない打ち方。「静の構え」から面白いように広角に打球を飛ばしていた。

 スポニチ制定の「最優秀バッテリー賞」の選考委員会などで会う機会も多かった。元気だったのに…。本当に残念でならない。

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