【特別編】日本ハム田宮裕涼に「いつかパフェ一緒に食べないか?」とお願いしてみた

キャンプ取材に走った田村藤夫氏(66)。今回は特別編として「田宮裕涼捕手に『いつかパフェ一緒に食べないか?』とお願いしてみた」をお届けします。

日本ハムの沖縄・名護キャンプ取材では、高卒8年目の田宮裕涼捕手(25=成田)と大卒3年目の進藤勇也捕手(23=上武大)に、それぞれインタビュー。

日本ハムの大先輩捕手として、若い2人のバチバチのライバル関係に遭遇し、胸を熱くした一方で、このコーナーの担当者からはもう1つの特別取材を強く依頼されていました。田村氏にとって、高すぎるハードルとなったいきさつの背景とは…。

田村氏によるリポートではなく、担当者によるリポートです。まずは、ご覧になってくださる読者の皆さんには、サムネイルに掲載してあります田宮選手の表情をまぶたに焼き付けてから、以下の駄文に接していただければ幸いです。

どうぞ、最後までお付き合い下さい。

プロ野球





◆田宮裕涼(たみや・ゆあ)2000年(平12)6月13日、千葉・山武市生まれ。成田から18年ドラフト6位で日本ハム入り。20年9月27日オリックス戦(京セラドーム大阪)でプロ初出場、初安打。23年9月25日楽天戦(エスコンフィールド)でプロ初本塁打、初打点をマークした。通算219試合、160安打、打率2割6分3厘、10本塁打、60打点、15盗塁。175センチ、84キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸5000万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272


■読者から衝撃のリクエスト

1月中旬、通話中のスマホはスピーカーにしてある。そのスマホの向こうで、田村さんが固まっているのがよく分かる。いつものやつだ。困った時になると無言になる。ごくわずかに、浅い呼吸音が聞こえる…、気がする。


まあ、しかし、それも無理はないとは思う。口下手、人見知り、ただ、野球が好きで、とても詳しくて、現場を愛する名捕手の田村さんに、かなりのむちゃなお願いをした。一方的に電話を切られてもおかしくはない。そういう状況だった。


その一方で、66歳の田村さんが、自分のキャラクターを突き抜けて何かにトライするチャンスなど、もうそうそうないだろう。そんなこと田村さん自身は望んでいないことも重々承知している。だが、読者の方のリクエストにこたえることは、担当者の私と田村さんにとって、大切な役割だ。


目いっぱいやってみて、うまくいかなくても、そのプロセスをお届けするだけで、何かが生まれるかもしれない。だから、私は心を鬼にして田村さんに言ったのだ。


2月14日、日本ハムのキャンプを視察する田村氏

2月14日、日本ハムのキャンプを視察する田村氏

担当者田村さん、田宮選手に名護キャンプで会った時に聞いてください。「俺とパフェ一緒に食べるっていうのはどうだ?」って。


田宮選手に向かって「一緒にパフェを…」なんて発想、みじんもなかった。これは、担当者発のアイデアではなかった。基本的には田村さんとの打ち合わせでは、野球の取材しか頭になかった。


それが、このプレミアムリポートでは、ありがたいことに読者の方からコメントをいただけるようになった。「何でも結構です」「どうぞ、ひと言添えてください」と常にリクエストをしてきた。それに答えてくださる読者の方があって、貴重なご意見に触れる機会に恵まれた。


田宮選手へのインタビューや、解説評論後のコメントには、多彩なリアクションが光り輝く。めったに知ることができない生の声だ。私は隅々まで読ませていただいている。その中に、「パフェ」というワードがあった。


細かい表現は割愛させていただくが、趣旨としては何度も田宮選手に取材を重ね、だんだん本音で接しているように感じますと。自撮りからうかがえる2人の距離感はその最たる例で、距離が縮まる2人の様子がとてもほほ笑ましいです。


これならば、甘い物が大好きな田宮選手と田村さんが、一緒にパフェを食べる日がくるかもしれませんね。そう記されてあった。


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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。