【初リポートから7年】胸に響いた中日根尾昂の言葉「もうこういう取材はいいです」

田村藤夫氏(66)の「プレミアムリポート」は、中日根尾昂投手(25=大阪桐蔭)から始まった企画です。スタートした時、根尾選手は22歳でした。プロ野球選手として一流になれる素質を持ち、この世代最高の評価を受け、地元中日に入団しました。

田村氏は20年から始まった「ファームリポート」とあわせ、何度も根尾選手へのインタビューを重ねてきました。つらい時、うまくいかない時の方が、順調だった時よりも圧倒的に多かったのが現実です。結果が出ない時、必ず根尾選手は「やることはたくさんあります」と言い、決して弱音を吐きませんでいた。

くじけない根尾選手を田村氏が見詰め続けて7年目になります。高卒ドラフト1位はプロ8年目に入りました。

もがいてもがいて25歳になったホープの言葉に、ほんのわずかの変化を、田村氏は感じ取りました。

今回、2月の沖縄・読谷キャンプでの取材は、これまでのトーンとは少しだけ雰囲気が異なっているように感じます。

プロ野球




◆根尾昂(ねお・あきら)2000年(平12)4月19日、岐阜県生まれ。小2から古川西クラブで野球を始め、古川中では飛騨高山ボーイズに所属。3歳から始めたスキーでは、中学2年時にアルペンスキー回転で日本一となり、世界大会にも出場した。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、2年春、3年春夏で優勝。4球団競合の末、18年ドラフト1位で中日に入団。内外野をこなし、21年には自己最多72試合に出場し、30安打、1本塁打、16打点、打率1割7分8厘。22年途中から投手に登録を変更し、同年は25試合に登板。投手通算34試合、0勝1敗、1ホールド、防御率4・09。177センチ、85キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1050万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272


■「今年はリリーフと言われています」


田村久しぶりだな。元気か!


根尾はい、お久しぶりです。元気です。


田村もう、さっそく本題に入るけど、今年はどういう目標を持ってる?


根尾はい、今年はリリーフと言われています。もう、投げろと言われたところで投げられるように。チームの勝利にどんな形であれ貢献する、それだけです。


田村そうだな。もう、それだけだな。


根尾はい、それだけです。



■「桜井はいいですよね。ウフフフフ」でも「負けませんよ!」



田村毎年のことだけど、ドラフトでライバルも入ってきたな。


根尾はい。


田村やっぱり気になるから見るよな?


根尾はい、チームのピッチャーの映像はよく見ています。


田村うん。



根尾ドラフト2位の桜井(写真)はいいですよね。真っすぐは速いし、フォークもいいです。ウフフフフ。


田村笑ってる場合か? アハハハハハ。


根尾はい、そうでした、エヘヘへへへ。


田村頼むよ! フフフフフ。


根尾負けませんよ!


田村そりゃそうだろ!


根尾はい!


田村8年目だろ? ということは大卒で考えても4年目、だものな。


根尾そうですね。


田村根尾のことだから、しっかり考えて練習してるだろう。あとはとにかく結果だな。


根尾はい。


18年、第100回全国高校野球選手権大会を制した大阪桐蔭。柿木(右)は当時の盟友

18年、第100回全国高校野球選手権大会を制した大阪桐蔭。柿木(右)は当時の盟友


田村それで、大阪桐蔭の仲間とは会ってるのかな?


根尾はい、会ってます。柿木とは名古屋で食事してます。


田村そうか。柿木も仕事で名古屋に来るみたいだしな。


根尾はい。この前も食事してたら柿木が「根尾と食べてると緊張する」って言うから…。


田村柿木が? 根尾と食事するのに緊張するって?


根尾はい。


田村で、根尾はなんて言ったんだ?


本文残り66% (2593文字/3926文字)

1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。