石原良純 先見の明に長けた中学同級生「日本にもいずれプロサッカーがって」 衝撃のその後

[ 2026年9月25日 21:01 ]

石原良純
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 タレント石原良純(64)が、25日放送のテレビ朝日系「ザワつく!金曜日&ザワつく!特別編ドローンの会 合体3時間SP」(後6・50)に出演し、中学時代の印象的な同級生について語った。

 幼稚舎から慶応の“慶応ボーイ”である良純。中学時代に印象的な同級生がいたという。サッカー部のチームメートで、後にキャプテンになったという。「彼は、ず抜けてたの。1年、入ってすぐレギュラーになったり。家族もサッカー一家で。そいつが、“日本にもいずれプロサッカーができる”って言ったのよ」。サッカーは当時、野球などに後塵(こうじん)を拝したマイナースポーツ。Jリーグが発足する15年以上前の話で、中学生とは思えない先見の明だった。

 その男性はサッカー選手になることを夢見ていたが、良純によると、大学時代のケガが原因で断念したという。

 番組では、その人物に接触した。男性は鈴木徳昭さん。卒業後に日産自動車に入社し、同社がメインスポンサーのJ1横浜の運営に携わった。語学力を生かし、93年の「ドーハの悲劇」当時に日本代表を率いた、ハンス・オフト監督の通訳も担当。もちろん、ドーハの悲劇にも立ち会ったという。

 それでも、日本サッカーの発展に懸ける鈴木さんの熱意は、衰えることを知らなかった。「日本のサッカーを何とか、自分の力で、もう少し貢献できればということで、世界で勉強しようと決めて。チューリヒにFIFA(国際サッカー連盟)の本部があるんですけど、当時の専務理事、(後の)会長に“私を入れてください”と(お願いした)」。日産を退社し、日本サッカー協会に所属しながら、FIFAの役員としてW杯などの国際大会の運営を経験。02年の日韓共催大会の招致に貢献しただけでなく、21年東京五輪の招致委員会の責任者も務めたという。

 鈴木さんは現在、Jリーグの人材開発オフィサー、スポーツクラブの経営者を育成する財団法人の役員を兼務している。「本当にサッカーが好きで、この国のスポーツ、サッカーのために何とか頑張って貢献したいな」と話し、「死ぬまで頑張りたい」と、飽くなき情熱を口にしていた。

 良純は、中学時代の鈴木さんの思い出を語った。「1、2年のころから下級生を束ねて、“僕ら1年生は、集合時間より30分くらい(前)”ってあいつが勝手に決めて。“そのためには、グラウンドをちゃんと整備しなきゃいけない”って、あいつが全部、勝手に決めて」。“良純節”をまじえながら、そのリーダーシップの高さを説明。鈴木さんがケガで選手を断念した後も、「そこで勉強して、語学(の勉強)をやって、日産に行って」と、進むべき道が見えていたと称賛した。

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