余韻覚めやらぬパリ五輪。日刊スポーツでは6人の記者、4人のカメラマンを派遣し、海外開催五輪で過去最多のメダル数となった戦いの裏側や、勝敗を超えた選手の生きざまなどを現地から伝えてきました。今日15日からは「取材ノートから~パリ五輪編」と題し、各記者の心に残る出来事を全7回で連載します。第1回は金8個、銀1個、銅2個と大躍進したレスリング。選手たちの「自立」にフォーカスします。
◇ ◇ ◇
閉会式が行われた11日に競技最後の種目、女子76キロ級で鏡優翔(22=サントリー)が史上初の女子最重量級制覇を遂げる最高のフィナーレを迎えたレスリング。
1924年のパリ五輪で、内藤克俊が全競技を通じて日本人初の銅メダリストとなった「始まりの地」で、男女13人のレスラーは使命感と危機感と高揚感に満ちていた。「自分たちで変えていこう!」。一同が顔を合わせると、誰からともなく、そんな声が起きた。
史上最多の金メダル8個、メダル11個を獲得した躍進の理由を問えば、決して戦略的な力学が働いたとは言えない。東京五輪後、日本協会はコロナ禍や財政難を理由に国内での全日本合宿を大幅に減らした。海外派遣の費用捻出にも苦労し、パリ切符がかかった23年世界選手権では、五輪金メダリスト以外の選手には約20万円の負担金を求めた。4年に1度の人生をかけた大一番へ、困惑の声も広がった。21年12月に就任した赤石光生強化本部長は「ぶっちゃけ、なかなか大変です」と盤石ではなかった強化体制を認める。
東京五輪前よりも弱体化した組織力に対し、今大会の鍵となったのは「自立心」だった。選手個々、そして各所属先に委ねざるを得ない状況が発生し、おのおのの裁量は確実に増えた。ある選手は「今回のチームはベテランと若い選手のバランスも良かった。何より、皆が自制心、自立して判断できていた」と説く。禁酒する者がいれば、SNS絶ちする者もいた。男子フリースタイル57キロ級の樋口黎のように、減量方法を追求し、仲間に共有する選手も現れた。本来なら日本協会が主導して科学的見地などを提供すべき領域で、自らの体を実験台にし、試行錯誤した。
所属間での連携も強化された。代表を抱える日体大や育英大は男女やスタイルの枠を超えた合同練習を実施。女子選手が男子トップ選手に胸を借りる場面も作った。7月の草津合宿では男子グレコローマンスタイル60キロ級の文田健一郎と女子57キロ級の桜井つぐみが組み合った。
そして、技術面以外での意志が共通していた。
「レスリングをメジャーにしたい」
これまでも金メダルを量産しながら、国内最高峰大会への来場者数は低空飛行を続け、メディア露出も少ない。東京五輪での活躍も、現在の環境に追い風となってはいない。厳しい現実に向き合えば、勝利だけでは未来が危ういと感じ取れた。今回、例えば「カワイイ」をテーマにした鏡など、既存のイメージを打破する新世代の台頭は、「4年に1度」だけの注目を変えたい思いを源泉にしていた。
パリからの帰国前、ある選手は、航空便がエコノミークラスと知り、言った。「夢がない。でも、ロスではこれがビジネスになるように頑張っていきたい」。東京五輪以後の現実と、それに屈しないタフさ。パリで躍動した選手たちを中心に一丸となって変化を起こしていく。【阿部健吾】



