【奥野史子 我が道15】バルセロナ入りも腰痛は悪化の一途も「やるしかない」

[ 2026年9月16日 07:00 ]

小谷さん(左)高山さん(右)と一緒にすき焼きをペロリ
Photo By スポニチ

 日本選手権後は神奈川の大磯ロングビーチや静岡県立水泳場などで合宿を繰り返しました。

 合宿中はもうめちゃくちゃしんどかったです。朝は5時半に起きてまだ目が開かない状態でカロリーメイトの缶を開け、ほぼ寝たままバナナを食べる。6時にはもうプールに入っていきなりハードな競泳を2時間。何か話す元気もなくて、その間誰も一言もしゃべらない。朝ご飯を食べるとまたプール。午後の練習に備えて昼ご飯をがっつり食べるとすぐプールへ戻って練習また練習。合間にプールから上がると急いでパスタの大盛りをかき込み、筋トレをしてからまたプールへ。体重が落ちないように常におなかをいっぱいにしておくような感じなので、ぐるぐる回っていると吐きそうになるのをこらえて必死に泳ぐ。もうプールが閉鎖になりますという時間まで練習を続けてやっと夕食になるのですが、大磯プリンスホテルのレストランはレジャーのお客さんが多く、その中にジャパンのジャージー姿の私たちがポツンといるのが何か場違いで戸惑いました。

 とにかく合宿中は休憩という休憩はあまりなくて、追い込みに追い込んだ感じです。1日10時間以上はプールにいたのでもうくたくた、フラフラで、本当に限界を超えていました。気持ち悪くなるぐらい食べているのにそれでも痩せてしまう。何とか耐えられたのは代表に選ばれた責任感、選ばれた人間の責任として最後まで全うして必ずメダルを獲って帰ってくる。そこから逃げるわけにはいかないという強い気持ちがあったからだと思います。

 そして迎えた92年8月。決戦の地バルセロナに入って最初に驚いたのは選手村の広さでした。自分の部屋から食堂へ行くだけでも凄く時間がかかる。しかも混雑していてすぐには食べられない。会場のプールに行こうとしても渋滞でなかなか着かないし、そもそも選手用のバスが1、2時間待たないと来ない。事前に井村先生から「オリンピックでは何事も段取りよくはいかない。やることをいっぱい詰め込みすぎると絶対プラン通りにはいかないから」と言われてはいたのですが、改めて「本当にそうなんだな」と実感しました。よく試合前にコンディションを崩す選手がいるのは、たぶんこれも原因の一つなんでしょうね。

 高校2年の頃から始まった腰痛は、実はバルセロナ入りしてからもひどくなる一方でした。腰が痛くて朝も起き上がれない。一度体を温めて動かしてからでないと何もできないような状態で本番に臨まなくてはなりませんでした。前日の練習でも腰が痛くてスピン技の一つができず、心配した井村先生から「あんたこれ変更するか?」と言われるほどでした。でも変えると難度が下がってしまうので、悩んだ末に予定通りの内容でいくことに決めました。「もうやるしかない」。あとは気持ちで乗り切るだけでした。

 ◇奥野 史子(おくの・ふみこ)1972年(昭47)4月14日生まれ、京都市出身の54歳。6歳から「京都踏水会」でシンクロを始め、同志社大2年の時に出場した92年バルセロナ五輪のソロとデュエットでともに銅メダルを獲得。94年世界選手権では「笑わないシンクロ」で史上初の芸術点オール10点満点を記録した。引退後は日本人で初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演。02年に陸上の朝原宣治と結婚した。

続きを表示

この記事のフォト

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

スポーツの2026年9月16日のニュース