在阪民放アナのリレーコラム「アナランド」

青木源太アナ「あと5局」 カンテレでMC「旬感LIVE とれたてっ!」で抱く全国制覇の野望(前編)

[ 2026年9月20日 06:00 ]

自宅で料理の腕を振るう青木源太アナウンサー
Photo By 提供写真

 【在阪テレビ局アナウンサーの「アナランド」】着実に視聴者の支持を集め、カンテレ・フジテレビ系列局の“お昼の顔”になった。23年10月にスタートしたカンテレ制作のニュース・情報番組「旬感LIVE とれたてっ!」(月~金曜後1・50)でMCに就任したフリーの青木源太アナウンサー(43)だ。

 誠実でマジメなイケメンアナ、というのが世間の評判。ストイックで、スケジュール管理はきっちりしているタイプだ。毎朝6時半に起床。朝食を作り、子どもを学校へ送り出してから、ジムへ行って筋トレ。午前10時に局入りし、スタッフと入念な打ち合わせをする。本番終了後は買い物をして帰宅し、夕食を作る。「なんでも作ります。家族の評判もいい。健康志向です」。料理の腕前はかなりハイレベルだ。週末は企業やイベントの司会の仕事。「休みは月に2回」。家族サービスに徹する。「規則正しく。自分でこうと決めたら、時間通りにやる方がいい。ダラダラするのは嫌い」。ガンコな一面も持つ。

 今、一番力を注いでいる「旬感LIVE とれたてっ!」。当初は関西中心の西日本12局ネットの1時間番組だった。だが、1年後には2時間番組に。昨年9月からフジテレビもネット。スタッフ部屋には全国の白地図が張られ「増える度に色を塗った」。フジの平日午後の情報番組で初めて関西から発信する番組に“出世”した。現在は全国23局でネット。「あと5局です」と全国制覇も時間の問題となってきた。

 アナウンサー歴はちょうど20年。慶応大から06年4月に日本テレビに入社した。同期には現在フリーアナ、タレントで、同志社大のハリス理化学研究所で助教を務める桝太一(45)がいる。今も食事を一緒にし、話をする仲。「戦友みたいなもの。彼と同期で良かった」と振り返る。

 アナウンサーを志したのは子どもの頃。「テレビっ子でした。学校から帰るとずっと歌番組を観てました」。フジテレビ系「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」やTBS系「うたばん」、テレビ朝日系「ミュージックステーション」は欠かさず観た。ジャニーズ(現STARTO ENTERTAINMENT)が好きだった。

 将来を見据え、テレビ局の裏側をのぞいてみたいという好奇心もあって、大学1年からテレビ局でアルバイトを始めた。テレビ朝日「朝まで生テレビ」のADに。テレビ界にどっぷり浸かり始めた。

 念願かなって日本テレビに入社。ただ、アナウンサー生活が入社当初から順風満帆だったわけではない。当時の日本テレビでは、新人アナは徹底的に技術向上のための練習をするのが基本方針。初めてテレビに顔と名前が出たのは入社翌年の07年3月。「鉄腕ダッシュ」の大分ロケだった。それまで1年近くなかなかテレビ画面に登場することがなく、親戚や知人から「ホントにアナウンサーになったの?」と疑われていた。出演が決まり、喜んで知人、親戚中に電話したが…。

 「TOKIOがお祭りで地元の人と対戦。その助っ人で呼ばれました。収録では桝君と2人で自己紹介し、モノマネの一発芸も披露しました。でも、実際の映像を観てみると、登場シーンがナレーション。“新人アナ2人が登場”とだけ。親戚の中には、その場面を見逃した人もいた」

 チラッと一瞬の“テレビ・デビュー”。新人アナ2人は「テレビに出るのは大変。甘くない」と痛感した。青木アナは「画面に映ることがいかに幸せか。今でもそう思います。初心を忘れません」とその時の経験を糧にした。それでも「新人の誰々です、で下手でも許される。新人アナはどんどん番組に出て経験を積んだ方がいい」というのが今の考え。実際、青木アナが入社して5年後の頃から、日本テレビも方針変更し、新人アナの露出が早くなったそうだ。

 ◇青木 源太(あおき・げんた)1983年(昭58)5月7日生まれ、愛知・岡崎市出身。慶応大から06年、日本テレビに入社。情報、バラエティー番組、スポーツ中継などで活躍。20年9月末で同局を退社してフリーに転身。趣味は料理、筋トレ。

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