ききみみ 音楽ハンター

ゆいゆいシスターズ・山川まゆみ 離婚、コロナ禍…逆境経て思う「ゆいまーる」の大切さ、新作誕生の奇跡

[ 2026年10月11日 12:05 ]

ゆいゆいシスターズの最新アルバム「天まで届けシトゥリトゥテン」(左から)山川まゆみ、宮城汐花、宮城マナミ、上原ゆい
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 【ききみみ音楽ハンター/ゆいゆいシスターズ・山川まゆみ②】「ゆいゆいシスターズ」の山川まゆみ(50)がこのほど、スポニチの単独インタビューに応じた。前回は若き日の栄光と挫折を振り返ったが、今回はそれからも続いた過酷な試練、その後に訪れた奇跡の展開を明かす。

 2003年に三女を出産後、発症した鬱(うつ)。長期の休養を経て、沖縄民謡界のレジェンドである師匠・上江洲由孝さんに救われ立ち直った。徐々に音楽活動を再開したが、その後は離婚を経験。1人で3人を育てると決意した山川は当時を振り返り、「三線があったからこそ子育てができた」と語る。

 子どもたちは山川のことが大好き。「お母さんのそばにいたい」という理由で三線を習いたいと言い始めた。山川は彼女らの母だけでなく師匠となり厳しく育てた。2015年には上原ゆい、長女・宮城マナミ(27)とともに「ゆいゆいシスターズ」を再始動した。18年に山川は芸道30周年を迎え、20年には二女の宮城汐花(きよか、25)もメンバーに加入加。「この4人で絶対にCDを作ろうね!」と意気込んだ。

 モチベーションがどんどん上がる中、世界はコロナ禍に見舞われ、音楽界も例に漏れず大打撃を受けた。「歌う場もなくなり、お稽古する道場も閉鎖。人を集めてはいけないと、沖縄県内でも芸能がまず先に閉ざされてしまって、居場所がなくなった」。

 山川の困惑と落胆は想像に難くない。「芸能でしか生きてこなかったから、この先どうすればいいんだろうって。初めて履歴書を書いて、コンビニでアルバイトを始めて、なんとか生きていこうとしてた」。メンバーには「歌うステージがないから、しばらくはそれぞれで頑張ろうね」と呼びかけ、CD制作の夢も白紙になった。「もう歌うことを諦めよう、全部捨ててしまおう」と絶望したが、ここでも師匠の言葉に救われた。「続けてれば必ずいいことがあるから」。その言葉を支えに踏ん張った。

 とはいえCDが売れない時代。ステージは続けても新作発売は無理だと感じる中、昨年、東京のイベントに出演。そこで主催者を介してリスペクトレコードの高橋研一社長を紹介され、「天まで届けシトゥリトゥテン」の発売へとつながった。「“CDを出しませんか?”と言われて最初は信じられず…疑ってました(笑い)。でも社長の情熱に、ぜひお願いします!と。夢のようでした」と感謝した。

 今年7月に同作が発売され、評判は上々。山川が高校生のころに歌い、沖縄で大ヒットした「ユイユイ」を新たに標準語、琉球語の両バージョンで収録するなどバラエティーに富んだ全16曲が並ぶ。「ユイユイ」の歌詞には助け合いの心を意味する「ゆいまーる」の言葉。「“1人で仕事疲れるね、2人でやれば楽しいよ”っていう精神、心を伝えられる楽曲。いろんな経験をして、ますますこの思いの大切さを感じます」と実感を込めた。

 また、表題曲は昨年10月に亡くなった師匠への思いが重なり、「レコーディングの時に大変だった」と山川。同曲がアルバムタイトルになると決まったときには「涙が止まらなかった」と話した。ちなみに、シトゥリトゥテンは、沖縄民謡の囃子言葉だという。

 念願の新作は高橋社長のこだわりが満載で、「民謡のアルバムにポップス要素の強い9曲もの新曲が入っているって聴いたことがない」と山川は笑う。レコーディングでは「新曲をちゃんと自分たちのものにしなきゃって…必死に食らいついていきました」と回想。「本当に斬新で、ポップスも民謡もすごく楽しい歌が生まれました」と自信をみせた。

 次回、最終回は再び山川に訪れた闘病の日々と家族のきずな、初の大阪単独公演への思いについて聞く。

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