関脇霧島(29=音羽山)が14場所ぶり3度目の優勝を果たした。この優勝を、音羽山部屋の裏方たちも喜んだ。
兄弟子で世話人の勇輝(36)は、大関だった当時の霧島が痛恨の1敗を喫した日のことを忘れない。綱とりに挑んでいた2024年初場所の14日目。琴ノ若に敗れ、自力優勝の可能性が消えた。「相当ガクッときていました。自分はあの時、弓取りをしてたんですが、めっちゃ悔しそうで、雄たけびを上げていました。あんなに感情をあらわにしたのは初めて見ました。師匠(陸奥親方=元大関霧島)の定年と自分の綱とりがあって、相当かけていたんだと思います」。
すべてをかけていた分、ショックは大きかった。翌場所から霧島は連続で負け越し、大関から陥落した。心が折れかけたようでもあった。
再びやる気が見えたのは、昨年9月からだった。
勇輝は、こう証言する。
「『どうしたの?』っていうくらい、稽古の取り組み方が変わりました。絶対、何かがあったんだろうと思います。九州場所前には夕方に若い衆を連れてトレーニングに行ったり…。それまでは一切なかったのに」
実は、霧島が変わったのは、音羽山親方(元横綱鶴竜)から心に響く言葉をかけられた時期と重なる。
昨年9月の秋場所、関脇だった霧島は6勝9敗にとどまった。
音羽山親方は厳しく霧島に指摘した。「中途半端にやるのが一番ダメだよ」。音羽山親方は「やる気があるのかないのか。口先だけでやる気があると言っているのか、そういうところ」と明かす。
霧島は気持ちを入れ替え、本気になった。豊昇龍に番付を抜かれても入らなかったスイッチが入った。「人を見て、『オレも』というタイプではない。人をねたんだりもしない。怒っているのを見たことがない。若い衆が失敗しても怒らない」と勇輝が指摘する温厚な霧島。そんな男が、変わった。
勇輝はその変化を肌で感じていた。師匠がいなくなると気を抜いていた稽古場でも、変わりなく自分を追い込めるようになった。「考え方も、何かのショックで変わったようでした。そのおかげで、若い衆も力を付けているんです」と効果を口にした。
勇輝は「自分が言うことではないかもしれませんが才能十分。抜群ですよ。横綱になると思っていました」。「思っていました」という過去形は、この優勝を機に現在進行形に変わるかもしれない。【佐々木一郎】

