TBS山本恵里伽アナウンサー(32)が、系列局のRKK熊本放送の特番「おかえり熊本~ふるさとは今年も晴れる」に出演し、このほどTVerで配信された。山本アナは、16年4月に発生し最大震度7を記録し甚大な被害をもたらした熊本地震の記憶に、涙する場面もあった。
熊本地震から10年の節目に、熊本ゆかりのゲストと「熊本の現在地」を感じる番組。冒頭で進行役のフリーアナウンサー糸永有希から紹介されると「ただいま帰りました。山本です」とにこやかにあいさつした。テロップでは、熊本市立の詫麻西小、西原中、県立済々黌高と地元で進学した後、明大文学部を卒業、16年に入社し、現在は「報道特集」メインキャスターを務めるなどのプロフィルが紹介された。
ロケは母校の済々黌高前でスタート。山本アナは「熊本に帰ると熊本の香りを感じますね」と笑顔。母校について「本当に私の母校で、ここでの3年間がなかったら、今の私はいないと言っても過言ではないぐらい、とっても大事な場所です。放送部、当時は視聴覚部という名前だったんですけど、そこでの経験が今の自分に生きている」と語った。思い出の放送室などを訪れ、現役部員や恩師とも再会。17歳で出演し全国放送コンテストに応募したドラマ映像も保存されており、照れながらも「私の原点はここだな、って今痛感しましたね」と語った。
母方のルーツの天草地方の郷土料理「鯛そうめん」や地酒も堪能。ロケ前日も個人的に訪れたという地元の「いのもと酒店」では、新店舗に移転直後に地震が発生し、6000本の酒瓶が割れた被害があったことが明かされた。山本アナは、同店社長からの「ついつい忘れがちになるんですけど、そういう経験をしたことが。全国の蔵元さんとか、お客さまとか、飲食店さまに支えられて、立ち直って前向きに来た」という言葉に聞き入った。
番組ラストには、南阿蘇村の「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」を訪問。地震の時間に止まった体育館の時計、大破した車の残骸などの展示物に一瞬、言葉を失うと「こうやって被害を受けた物たちを目の前にする、ってすごく大事だなと思います」と語った。
地震の発生時の16年4月は、山本アナが社会人1年目で、翌月にヘルメット姿で現地からリポートしたVTRも紹介された。「熊本地震の取材をしたのは、震災から1カ月がたったタイミングだったんですけど、実家に向かう途中に益城町があるんですよね。いつも通っている道をその取材でも通ったんですよ。その益城の町の姿があまりにも変わり果てていて、現実として受け入れられなかったんですよね。知っている景色じゃない、という。家もほとんどが、その地域は崩れてしまっていて、道もガタガタで。でも『感情はこの取材では出すべきではない』と思って、それを必死にこらえながら」と神妙に当時の胸中を回想。「すごく苦しかった記憶があります」と、かみしめるように語った。
続けて、震災遺構として残る旧東海大学阿蘇キャンパスへ。山本アナは「私自身は、地震が起きた時には東京で働いていたので、揺れを経験していないんですよ。それが、熊本で生まれ育った身としては、なんかすごく…申し訳ない、というか。私はそのそばにいられなかった、というのが、ひとつ、悔しさ、というかあるんですけど」と話すと声を震わせ、大粒の涙がほおを伝った。言葉を絞り出すように「だからこそ、その時の、記憶を、この悔しさを、忘れずにいたいな、って」と語った。
熊本とは、と聞かれた山本アナは「私にとって熊本は『素』(す)」とフリップに1文字で表現。「素に戻れる場所、そして私の素(もと)を作った場所。どこにいても、自分の素直な気持ちがそのまま出てくるというか。東京で働いている私も、私らしい私なんですよ。でも、そこでは出せない自分が、熊本では何故か出せてしまう。ここだったら、熊本の皆さんだった受け止めてくださるのかな、というのもありますし、安心して自分の素を出せるところ。それが私にとっての熊本です」とコメントした。最後は「引き続き、応援をお願いします」と笑顔で締めくくった。



