自民党の関係者ですら「想像以上だ」と口にした衆院選での自民党の歴史的圧勝から1週間。選挙後、議員会館で行われる落選者の引っ越し作業はいつもの風景。ただ今回ばかりは、中道改革連合でベテランや幹部を含む120人近くが落選し、各フロアの廊下では引っ越しの荷物を運ぶ業者がひっきりなしに行き交い、部屋の前に書籍などが高く積み上げられている事務所も多かった。その横を、当選祝いの白いコチョウランが運ばれていく。選挙直後にいつも見る景色ではあるが、今回はいつも以上にシュールな対比だった。
高市自民に完膚なきまでにたたきのめされた感がある中道改革連合内の空気と対照的に、自民党内は活気ある雰囲気が続いている。2009年衆院選で政権を失った直後の自民党は、夏なのに漂う空気が冷え切っていたが、今回は中道内の空気がまさにそれだった。
圧勝を遂げた自民党では、今回、比例名簿に掲載した候補者が全員当選したブロックも多く、候補者が足りずに14議席分が他党に振り分けられ、他党の比例復活議員を多数生み出す結果になった。通常は当選の可能性が低い比例名簿下位の候補者も当選し、「高市チルドレン」ともいえる新人議員は合計66人。全当選者316人の約2割を占め、かなりの勢力だ。
新人といっても年齢層はさまざまだが、国会議員としての「お作法」は意外に細かく、多いという話を聴いたことがある。結果が出てから10日あまりしか経過していない18日に特別国会が召集されるため、自民党では勝利の余韻が残る中、今後の新人教育が急がれる現実に直面している。
自民党の新人教育が大きな話題になったのは、今も語り継がれる、小泉純一郎首相の郵政選挙圧勝後のことだ。当時、比例南関東ブロック35位、26歳でこの時の選挙での最年少当選となった杉村太蔵氏(46)が、「国会議員はグリーン車乗り放題」「料亭に行きたい」など、政治経験なしの外資系証券会社員の素直な気持ちを初当選直後にテレビの取材に語り、党内外から猛烈なバッシングにさらされた。
その時、杉村氏を一喝したのは、当時「偉大なるイエスマン」といわれた自民党幹事長の武部勤氏(84)だった。
当時の自民党では、今回より多い83人の「小泉チルドレン」と呼ばれる新人議員が生まれた。新人対象の研修会も連日国会内外で開かれたが、杉村氏はよく「居残り特訓」を受けていた。武部氏は当時、初登院前に取材を受けた杉村氏の行動を叱り、杉村氏に、前代未聞の「新人議員による党本部での謝罪会見」も開かせた。杉村氏はその後しばらく「貝」になり、我々メディアにも言葉を選んで話すようになった。
武部氏は一方で、杉村氏の謝罪会見後には「あれだけ大勢の報道陣に囲まれ、自分の考えをきちんと言えるというのは大したもの。ああいう人材が、これからの自民党を変えていく」とほめることも忘れず、杉村氏は同じ年の秋に開かれた党大会で、立党50年宣言の大役を担ったほどだった。
杉村氏はその後、「一ヒラリーマンだった僕が国会議員になってどう感じるのか、どう庶民と違うのか、どんどん見せていきたい」として発言は解禁したが、目立った「放言」は少なくなった。国会議員になった責任感や杉村氏個人の性格もあったとは思うが、武部幹事長の「しかる」と「ほめる」の相乗効果のおかげではないかと、当時聴いたことがある。
自民党には当時、武部氏以外にも新人教育の主要な場として派閥が存在していたが、裏金事件を機に麻生派以外の派閥はなくなった。民主党に奪われた政権を奪い返した2012年衆院選で初当選した「安倍チルドレン」は119人いたが、派閥がまだ存在していた中でも、新人議員の中で女性問題などスキャンダルや不祥事が頻発。当選回数を重ねる中で「魔の2回生」「魔の3回生」などと呼ばれ、次第に議席を失っていった。
自民党は今回、派閥なき後の新人教育を、党をあげて行う方針とみられている。大の大人に教育なんて、といつも思うことではあるけれど、政治経験の浅い議員の言動が党にとってダメージになることも少なくない。杉村氏のような奔放発言が飛び出した約20年前と今の政治情勢は、コンプライアンス意識の変化もありずいぶん変わっているとは思うが、ふとした発言の拡散力は、SNS社会の中にあっては、杉村氏の時代の比ではないのだ。
話を聴いた与党関係者は、「失言ひとことの『打撃度』は、杉村さんの時より大きいから」と懸念を示し、新人教育の必要性はより高まっていると訴えていた。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)




