日本バレーボール協会(JVA)名義で、女子有力選手の日本国籍取得を巡る国への上申書が偽造されていた問題で、発覚翌日の19日、川合俊一会長、国分裕之専務理事、内藤拓也業務執行理事の最高幹部3人が都内で会見した。
法務局への提出を許した失態を認めて会長が謝罪。虚偽文書を作成した人物を「女子日本代表の(強化に携わる)業務委託者や外部の複数名」と明らかにしたが、会見が早すぎたのか、新事実が乏しい“ゼロ回答”の連続。一方、今回の事案を見抜けなかった第三者委員会に再度依頼する方針を示し処分も委ねるなど、責任逃れに終始した。
会見の主な一問一答は以下の通り。
-関わった人物は何人いるのか
川合 まだ数名ということで、どんな人が関わったかというのは把握しておりません。第三者委員会の調査に上げる予定。
-会長はクラブからの依頼に対して「助けてあげなさい」と。責任について
川合 我々バレーという小さな組織なので、困っているのにそんなことはできないということはできない。「手伝ってあげなさい」というのは、記事の中では上申書を出すの時に言ったような感じになってますけど、本来は一番最初に言った言葉。不正行為をしてまで、という意味ではない。
-第三者委員会のメンバー構成
国分 外部弁護士が3人。今回の報道の上申書については、当該スタッフにそのことについてのヒアリングがなかったので言及していない。今回の件はヒアリングがないので第三者委も把握していない。
-法務局に提出されたことを把握しているか
川合 提出されていると聞いている。選手本人が、難しい漢字がわかっていないと思うので、どんなものかわからず提出している。本人は関わっていない。
-なぜ担当者は作って提出したか
川合 帰化したとしても2年間は代表にはなれない。その業務委託者は、なんとか帰化できれば間に合うんじゃないかと勘違いか、情報把握できていなかったか、普通に考えれば無理だった。協会としては間に合わないし、監督が選ばないといけないので、そういうものにかんして動くということはあり得ない。
-上申書はどれくらい効力が発揮されたのか
川合 知るよしもないので。帰化に関しては僕らには知らない条件があるので、それをクリアしてればできるし、クリアしてなければできない。(どれくらいの効力だったか)把握できない。
-組織のトップとしての監督責任
川合 何か起こった場合は隠蔽(いんぺい)せず、すぐに皆さんに公表する。打開策をつくって、2度とないような対策を取る。バレーボール関係者をすべて監督するのは難しい。23年に作った行動規範を頭にたたき入れて『誠実に行動する』ということを関係者に言っていくしかない。この文書の判は正式なものではない。誰がいつ送信したか分かるように改革しないといけない。再発防止をしっかりしていく、透明性を深めていく徹底してやっていくしかない
-処分について
国分 処分という言葉を正確に捉えると、業務委託者、外部の方にどのように対応できるか、司法の手も借りて判断しないといけない。
-偽造と正式にわかった場合、選手に悪い影響がある。協会として
川合 あの文書(報道の文書)が出されたというのは確認されてませんので、もしかしたら違う文書が出されてる可能性もありますので、それに関しては今ちょっとお答えできません。我々としては選手を大事にしていかなきゃいけないというスタンス。今も海外の弁護士と連携してしっかりとフォローしていく。
-今回の第三者委員会は
国分 流れや背景を含めて、時間がかかると行けないので、前回のメンバーで確認できなかった部分にフォーカスして確認していただく。調査が終わった段階で(メンバーを)お出しします。
-いつからスタート
国分 まだ昨日の今日なのでコンタクトできていない。来週にコンタクトして、期間ありきではないが速やかに調査する。事実関係を洗い出す。
-担当者の動機は
川合 何か頼まれたら成功するまでやっちゃう人間。正当なもの、良くないものの判断ができなかったのかもしれません。
-川合会長は上申書について「あやしい」と言っていたが、どこがか
川合 (報道のものとは)違ったものにサインしたものがあるので、もしかしたらこれが出されたかもしれない。2つがあるので、どちらが出されたかはわからない。
◆問題経過 18年に来日した選手が、日本人男性と結婚後の23年1月に国籍取得を開始。「継続的な滞在」が必要な中、オフの半年間は帰国していたため難航し、代表入りさせたい協会の当時幹部が「海外出張命令」を装って要件緩和を画策した。24年5月に国への上申書「案」として作成したが、チームに「事実と異なる」と拒否されて撤回。25年6月に発覚した際に第三者委が検証し「未提出だった」と結論づけたが、実際は架空理由のまま無断で偽装が進められ、チームに隠して、協会名義で法務局に提出していた。一方、この上申書で手続きが進み、選手は24年6月に日本国籍取得。しかし協会が国際連盟の規定変更を見落としたため、全日本資格がない“代表難民”となっている。


