小柳ルミ子(73)が歌手デビュー55周年を迎えた。歌謡界大全盛期に「私の城下町」「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」など数々の大ヒットを飛ばした。女優としても映画「白蛇抄」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得。歌手でも女優でも頂点を極めた。「恋多き女」と揶揄(やゆ)されたが、自分の道を信じてまい進して来た。記念曲「愛は輪廻転生」(3月3日発売)の歌詞「私、人生のプロですから」を、まさに地でいく55年である。【笹森文彦】
★3歳から8つの習いごと
1971年(昭46)4月25日、八重歯が印象的な18歳の小柳ルミ子が歌手デビューした。郷愁を誘うデビュー曲「私の城下町」はたちまち国民的支持を得た。
出す曲はすべてヒット。4作目の「瀬戸の花嫁」(72年4月)で第3回日本歌謡大賞を獲得した。わずか2年弱で頂点に立った。
デビューに際し、自身が書いた詩がある。
「一本の長い道 だれもいない私だけの道 この孤独の道に立たされた今 自分を愛し信じ自分を見つめて歩んでいく」
それから55年、1本の道は曲折もあったが、今にしっかり続いている。
ルミ子 いろんなことがありましたけど、逃げずに、正面から向き合って克服してきたからこそ、今があると思います。
確かに道を切り開いてきた。その傍らには“名プロデューサー”の母・愛子さん(享年86)がいた。自らの夢を娘に託した。3歳からクラシックバレエ、ピアノ、歌、ジャズダンス、タップダンス、日舞、三味線、習字と8つの習いごとに通った。母娘の目標は明確だった。
★宝塚「夏川るみ」として初舞台
「宝塚歌劇団」から、当時王国と言われた「渡辺プロダクション」に入ることだった。宝塚音楽学校本科生の夏休み、小柳は渡辺プロの社長室に1人で行き「入れてほしい」と直訴した。当時の渡辺晋社長に「宝塚で1番になったら考えましょう」と言われた。
ルミ子 実は、もうその時に1番だったんです。しめしめと(笑い)。宝塚は一人前の芸能人、歌手になるための、いわゆる通過点でした。
大阪万博があった70年、首席で卒業。「夏川るみ」として初舞台を踏んだ後、わずか2カ月で宝塚を退団した。渡辺プロの門は約束通り開いていた。
★25歳清純派が「星の砂」で転機
すさまじい人気だった。睡眠時間約3時間の日々が続いた。
ルミ子 自分がここで何をしているのか、分からないぐらいでした。でも苦じゃなかった。自分で選んだ道でしたから。
しばらくして、転機が訪れる。それまでスタッフが決めていた新曲を、自ら「これを歌いたい」と訴えたのだ。代表曲「星の砂」(77年)である。25歳になる年だった。
琉球王国時代、強制移住政策で引き裂かれた悲恋の伝説を基としていた。テレビ番組の企画から生まれた曲だった。清純派として日本の情緒を歌ってきた小柳にとって挑戦だった。
ルミ子 これを歌えなければ、歌手を辞めるとまで言ったんです。(ヒットする)自信はありました。
同曲がさらなる転機をもたらした。映画「誘拐報道」(82年、伊藤俊也監督)への出演依頼である。
ルミ子 私、いつも「星の砂」を涙ぐみながら歌っていました。それをご覧になった伊藤監督が「この子には芝居心がある。(歌手の)きらびやかなドレスを脱いで、生活感あふれる役で使ってみたい」と思ってくださったんです。
★「ルミ子が脱ぐ」事務所猛反対
誘拐犯(萩原健一)の地味な妻をノーメークで見事に演じた。映画初出演で、第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を獲得した。
伊藤監督から映画「白蛇抄」(83年)への主演もオファーされた。水上勉原作で、情欲に翻弄(ほんろう)される女の悲劇を描く文芸大作。「ルミ子が脱ぐ」と大騒動になった。
ルミ子 本を読んだら、ぬれ場だらけですよ(笑い)。でも、私は監督を信頼した。脱ぐことが優先ではなく、女の性(さが)や心情をしっかり撮ってくれると確信したんです。
事務所は当然猛反対したが、第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した。31歳だった。
ルミ子 (ヒットが出ず)試行錯誤していた。自分で水面(みなも)に石を投げて波紋を立たせなければと思ったんです。
★“恋多き女”より“恋深き”
仕事以外でも、波紋を広げて来た。20代から数々の浮名が流れ、“恋多き女”と言われた。89年には13歳年下のダンサーと結婚したが、相手の浮気などが原因で00年に離婚した。
ルミ子 “恋深き”って言っていただければ(笑い)。人生って舞台の盆(回り舞台のこと)で、正面に来るとライトが当たり、くるっと回って背を向けると暗くなる。その繰り返しなんでしょうね。
55周年記念曲「愛は輪廻転生」は、小柳の生きざまを4分間のミュージカルのように歌い踊る。「輪廻(りんね)転生」とは、盆のように生と死を繰り返すこと。サビの歌詞「私、人生のプロですから」が、小柳の人生と重なる。
ルミ子 みんな幸せになるために生まれてきたんだから、みんなに勇気や希望を与える歌になってほしいと思っています。
★急逝愛犬ルルへの追悼歌
カップリング曲「あなたがいたから」は、昨年7月に急逝した愛犬ルル(11歳、犬種チワワ)への追悼歌。愛する人への普遍的な思いが伝わる。2曲とも小柳が作詞にかかわった。
現在は(小柳の幼少期から数えて)6代目となるルル(生後5カ月)が、小柳に寄り添う。
★年間2000試合サッカー観戦
専門家も認めるサッカー通である。生観戦だけでなく、テレビ、タブレット、スマホの“3元中継”を駆使して、年間平均2000試合を観戦する。アルゼンチンのメッシ選手(38)に引かれてのめり込んだ。
ルミ子 90分間、生で見ないと(試合の)物語は分からないんです。私たちの仕事もサッカーに通じます。タレントもスタッフも、みんな同じ思いでボールに向かって行かないと、絶対にいいゴール(仕事)は生まれない。これからも、そう信じて頑張って行きたい。W杯? 初戦のオランダ戦が鍵ですね。
■初のストレッチ本発売
55周年の一環で、初のストレッチ本「毎日少しずつ、柔らかい体になる!健康美を叶える『ルミ子流ストレッチ』」(大和出版)を13日に発売。
幼少からバレエなどを習い、宝塚でも鍛えたダンスは小柳の代名詞。いまもデビュー当時とほぼ変わらぬB83-W56-H88センチのスタイルを維持している。「今も現役ということが最高の説得力になるんじゃないかな。何かをやりながらでいいので、まずは続けることです」。
▼記念曲2曲を作詞作曲した音楽家の向井浩二(45)
(「瀬戸の花嫁」などの作曲家の)平尾昌晃先生のご紹介で、ルミ子さんのボイストレーナーを務めていることから、今回のお話をいただきました。
ルミ子さんの歌唱力は、酸いも甘いも経験してきた表現力が一層加わって、唯一無二の個性となった。
記念曲は「お久しぶりね」や「今さらジロー」のように、自然体で輝ける作品にしたかった。歌詞の「えっ、私?」と「私、人生のプロですから」は、女優と歌手の言葉として曲に乗せました。小柳さんが歌うとまったく違和感がない。さすが55年の歌手であり女優です。
◆小柳ルミ子(こやなぎ・るみこ)
本名・小柳留美子。1952年(昭27)7月2日、福岡市生まれ。宝塚歌劇団の同期は麻実れい、東千晃ら。NHK連続テレビ小説「虹」(70年4月)で、女優として芸能界デビュー。「私の城下町」で第13回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。ヒット曲は他に「京のにわか雨」「冬の駅」「お久しぶりね」「今さらジロー」など多数。NHK紅白歌合戦は71年から18年連続出場。身長157センチ。血液型B。







